第五回 読書をさせたいとか 読書が学力に繋がるかとか(ゲームの話も)

 子どもに読書をさせたいという話(前置きが長いので適度に読み飛ばしていただきたい) 

  読書は確かにいいことではあると思うが、悪い面もある。本を読むことに夢中になって勉強できない(ただ読書をやめることが必ずしも勉強にはつながらない)とか。確かゲームを止めさせたからといって勉強するようになるか、そんなことはないとか誰かが言ってた気がする。あとゲーム(Switch、PS4等、このブログを見返したときにこんなゲームあったなとおもいあせたらいいななんて思う)はいいものだと思う。例えば、視力低下につながるとか、寝不足の原因だとか、勉強しなくなるとか、このような悪い面の話をよく聞くし、確かにそのようなところはよろしくないと思う。だだゲームというのは考えなければならない、頭を使わなければならない。試行錯誤(try & error)、インターネット等での情報収集、作業の効率化など、細かく言えばきりがないと思うのだが、多くのスキルを必要とする。ポッケに入るモンスター、戦って負けて編成が悪いのか、技が悪いのか、ステータスの振り方が違うのか、読み間違えか、勝てるようになるために考えることは色々ある。編成を変えてみたり、個体値なんかを調べて最大のステータス計算してみたり。あとはドラゴンのクエストでレベル上げ、メタルなスライムを倒すといいとか。自由度の高いモンスターを狩るやつとか、スマッシュな兄弟と乱闘するやつとかは立ち回りを考えたりしなくてはいけない。イカが色を塗るゲームなんて、陣取り合戦して、絵具の銃で敵を倒して、しかもチーム戦で、頭を使わないわけがない。無人島で動物と遊ぶやつなんかは何をするかを自分で見つけなければいけないらしい。(勝ち負けなんてないのがちょっと音楽ぽくって惹かれてしまったり)こんなに考えながら勝利や成功、目指すものの達成を求めるのだから素晴らしいものだと思う。とんでもなく読書の話から外れてしまったが、、、戻ろう。状況を頭に思い浮かべたり、人間関係がどうなってるのか整理したり、そんなこんなをしながらまた全体的なストーリーを理解していく、そしてそれらを笑ったり、それらが面白いと思ったり、それらに感動させられたり、読書とはこういうものではなかろうか。具体的にと言えるのか怪しいが、あるページの登場人物たちのくだらない会話も最初から最後まで読んで理解した全体の話も、つまり1ページ単位のスケールから何百ページ単位のそれまで楽しむということだ。(もちろん本の中の世界に浸ったり、想像を超える話を書く作者をすごいと思ったり、他にも色々楽しみはあるが)相変わらず前置きが長い、、、結局なんだというと読書は頭を使って楽しむものであり、ゲームと同じようなものであると言いたい。

  読書はゲームと同じとか言ったが漫画なんてさらに近い具合に変わらないだろう。とここで漫画の話を出すともう収まらなくなるからやめよう。まず一つ目に読書を楽しめないなら、それは勉強(国語とかその他諸々)に対して望ましい結果はついてこないのではないかと思う。読書を楽しめるというのは、内容を理解しながら本を読めているということ(上の方で長々と書いてしまったのでこの辺で)である。この理解し、また同じように考えながら読むことが、例えば国語とかでいう読解力の向上につながるのだと思う。単に言うと読解力とは書かれている文章の中身(ストーリー)がわかるということで、結局そのようなことを本で練習できているかということである。内容を理解せずにただ文字を追うような読書は、わからない外国語(その外国語を習得しようとしているわけではない)の文章の文字をただ眺めているのとそう違いはない。読解の練習をせずに時間を潰しているだけ。(喩え話が拙いのでその辺を努力したい)読解せずに読むことが読解力向上につながるものか、楽しめない読書はやめるべきだ。(ストーリはわかるけどつまらない、、、 そんな本も読むのはやめてしまっていいだろう。)(かっこが続くが、国語においてはつまらなかろうが読んで問題を解いていけばいい。どこをどう読めば正解を得られるのか考えていくからだ。)

  そして二つ目に思うことは読書をさせたいと思うなら、自分がまず読むべきということだ。これは先ほどの一つ目の考え方から続くもので、こどもに読書を無理やりさせたところで何も考えずにただ文字を追うだけ、絶対に楽しんで読むことはないだろう。そしてこれでは意味がない。だれかが熱心にあるものと向き合っていたり、そのあるものに惹かれているところを見ると、人は面白いのかななどと興味を持つものだ。そして何が楽しいか気になるものである。読書も同じだろう。自分が読んでいれば、自ずとそれを見ているこどもは興味を持ち始める。そしたら本(その子が楽しめると思うもの)を紹介し、子どもが読み始める。そんな具合にいけば願った通りに行くだろう。子どもが興味を持ち始めるまでに時間はかかるかもしれないし、一回手を出しただけでは続くとも限らない。ただ少なくとも子どもが自然と読書するようになるまで続けられるといいだろう。(子どもに読ませるためだけの読書は良いものだとは思わないが)「好きは物の上手なれ」なんてことばがある。ならばいかに好きなものにさせるか、楽しい物だと紹介できる(子供の前で読書に浸る)かを考えるべきだと思う。

  まとめると、読書は頭で考えながら読むことに価値がある。楽しい読書が読解力を鍛える。読書をさせたかったら自分が読むこと。

  

 

 

  このブログではただの独り言のようなことを書いているのだが、ここはさらなる独り言の場であるだろう、、、。勉強せずにゲームする子がいる。こんな単純な話ではない気もするが、ゲームを作る人のほうが勉強を教える人より熱意がある、ただそれだけだろうと思う。いかに魅了し、惹き寄せられるか。日本において学校は基本的に生徒が集まるし云々、、、そんな話は避けよう。(どこかで書きたい)(ゲームを作る人はハードを設計する方からソフトを開発する方まで、勉強を教える人は教科書を書く方から教壇に立つ人までと広く捉えておきたい)

 

 

  ゴシップっていいですよね。最近友人と話してて自分の恋愛は頭をひたすら悩ませて辛いが他人の恋話はとても面白いと言っていて、それを聞いたときゴシップと同じなのでは?!?!と思いました。当人(恋愛に悩む友人からみた自分ですね)にとっては深刻だけれども、それを外で聞く側(友人の言う他人)は面白おかしいだけなんですね。

Fri.2000/6/3